■それでも政治を続ける、自由で公正で幸せな社会を目指して。
失われた30年、日本経済や政治が停滞する間にも、テクノロジーは発展し、私たちの暮らしぶりや働き方は大きく変わりました。それに伴い、人々の暮らしや価値観は多様化し、それぞれの夢や幸せを追い求めることができるようになりました。一方で、格差は広がり、困りごとも増えました。さまざまな意見を調整することは難しく、自己中心的な主張や極端な意見がぶつかり合う姿を目にすることも増えました。「どうせ変わらない」あきらめにも似た閉塞感が、社会全体をおおっています。
一人ひとりが自由に生きられる時代だからこそ、お互いを認め合い、助け合い、より良い社会をつくる一員としての責任を果たしていく必要もあります。しかし、その先導役を果たすべき政治の中心にいる顔ぶれは変わらず、みずからが分断をあおるような姿をみるにつけ、私はますます政治が嫌いになります。多数派がすべてを決めていく、これまで正しいとされてきた政治は、私たちの暮らしをより良い方向に進めるものではなくなったのかもしれません。
しかし、政治こそが一人ひとりの暮らしを見つめ、異なる意見を聞き入れ、その調整役を果たすことのできる唯一の存在であることも確かです。白か黒か、右か左か、では決められない新しい時代に、私たちの暮らしの新しい答えを導き出す政治家が必要です。政治が変われば、社会が変わります。社会が変われば、暮らしが変わります。ふるい政治から社会を解き放ち、一人ひとりが輝く舞台をつくっていく。
政治をあきらめるでも、誰かに任せるでもなく、私が“新しい政治家”になります。
自由で公正な社会を目指して、誰とでも対等な関係で接し、未来を見すえて闘いつづける。おくざわ高広とともに、町田から日本の未来を変えていきましょう。
■政治の原点~誰もが生まれてきて良かったと思える社会を~
私が政治を志した原点は、一人の少女との出会いです。塾の先生をしていたときの教え子の少女は、私の目の前で命を絶とうとしました。いじめ、貧困、虐待といった課題を一人で抱え込み、将来に希望が見いだせず、暮らしの中で唯一楽しいと思える塾で死にたいと思ったそうです。
私は涙が止まりませんでした。どんな家庭に生まれても、どんな困難が訪れても、心に寄り添う人がいて、明日に希望があれば、こんなことは起きなかっただろう。非力な自分ができることを考え続け、政治から社会を変えようと決心しました。
誰もが抱える苦しみを受け止め、前に進もうとする人の背中を押すことのできる政治を。誰もが生まれてきて良かったと思える社会を。人生をかけて、目指していきます。